2009/09/26(Sat)
私がある大きな教会の研修会に招かれた時のことでした。

その教会の若い伝道師の方がこのような話しをされたのです。



その伝道師は男3人兄弟の末っ子だったのですが、上の二人はとても優秀だったそうです。

自分は勉強もスポーツも何やってもお兄ちゃんたちには及ばす、いつも自分は駄目だなーというコンプレックスを抱いていたそうです。

ある時、彼は野球の試合で彼はピッチャーに選ばれました。

その試合で彼は今までにないすばらしい投球をしました。

9回まで0点に押さえ、あと一人で完封試合だったのです。

ベンチでも「すごいぞ」という声が上がっていました。

その時です、突然彼はこんな思いが湧きあがってきたのです。

「自分にこんな事が起こるはずがない。
こんなふうに勝てるわけがない。
ここで勝利してみんなの注目あびて、みんなからほめられるなんて
そんな事が起こっていいわけない。
自分はそんな人間じゃないんだから・・・」

彼はなぜだか試合に勝利することに、ものすごい恐れと抵抗を覚え、ガタガタと震え始めたのです。

その時です。

彼の投球は突然乱れ始め、あっという間に点をとられ、試合に負けてしまったのです。

試合後、彼はなぜだかほっとしたような感じがしてこう思ったのです。

「そうだ・・・これが自分にはピッタリなんだ」と・・・


イエスという御方がエルサレムのベテスダの池という場所を訪れた時のことです。

そこに46年もの長い間、病気でふせっている男がいました。

ベテスダの池で水が動く時に一番先に入った人は病気が癒されるという伝説があり、彼もそのチャンスを狙っていたのです。

しかし、いつもいつも彼は人に先を越され、そのチャンスを逃してきました。

1年、2年、5年、10年、20年、30年・・・

どれだけ待っても何も起こりませんでした。

相変わらず彼は病気で、立ち上がることができなかったのです。

やがて彼はこう思い始めたのです。

「自分はもう癒されることはないんだ。
いやきっとこの病いは自分の罪の報いなんだ。こんな不幸な人生は何 かの罰に違いない。
癒されちゃ駄目なんだ。
自分のような者は幸せになってはいけないんだ」

それまでの悲しい体験により彼は自分を病いと不幸の中に閉じ込めてしまったのです。

癒され幸せになることを自分で禁じてしまったのです。

これを心理学の用語で禁止令といいます。

その彼の前にイエスが立たれました。

イエスが46年間、病気であった男をじっと見つめ、驚くべきことを言われたのです。

「よくなりたいか?」と・・・・

この男はどう答えていいか分からなくなったのです。

いろいろな思いが湧きあがったことでしょう。

「この俺がよくなりたいなんて願っていいのか?
自分はみじめで貧しくて病気の人生がふさわしい罪深い者じゃないの か?
それなのに、よくなりたいなんて願っていいのか?」

イエスはこの男に気づいてほしかったのです。

「天の善き父はお前が健康になり幸せになることを誰よりも願っている のだ。
天の父はお前に善きものを与えお前を祝福したいと待っているのだ。
しかし、お前がそのことを願わなければ、それは受け取れない。
もう自分で自分をいじめ、自分を罰する人生は終わりにしなさい。
なぜならお前の罪と病そしてお前の全ての痛みはメシアである私が代 わりに引き受けるのだから・・・
もうひねくれて、すねて、いじけるのをやめなさい。
子どものように素直な心になってよくなりたいと願っていいのだよ」

人は心の中に罪責感や劣等感、敗北感を抱え込んでしまうと、幸せになり成功することを恐れ、自らそれを拒絶してしまうようになります。

あなたの人生にも長い間続いた痛みや悲しみがあるかもしれません。

もしかしたら自分のせいだから誰かのせいだからしょうがないとあきらめたり、すねたり、いじけているかもしれません。

イエスはそんなあなたの前に来て言われるのです。

「よくなりたいか」と・・・・

あなたが自分で抱え込んでいた全ての罪と失敗と弱さをイエスに引き受けてもらいませんか?

もう自分を卑しめたり、自分を馬鹿にしたり、いじけてすねるのもやめませんか?


「はい、よくなりたいです。
健康になり、幸せになり、成功したいです」

イエスはあなたがそう答えるのを待っておられます。
 ショウジ at 2009/09/26(Sat) 11:51 
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